瀬野川の流域で、米が育つ理由
海田町は広島県の中でも面積が小さい町だ。南西部の山々から瀬野川が流れ下り、河口の平地を潤す。この川が運んできた土壌と、広島湾に近い温暖な気候が、米作りに適した環境を作ってきた。
町の歴史を遡れば、平安時代の終わりには「開田荘」と呼ばれる皇室領の荘園があり、江戸時代には瀬野川の土砂堆積と干拓によって陸地が広がり、農地が増えていった。明治の時代には、瀬野川の瀬替えや干拓事業が相次ぎ、新しい田んぼが次々と生まれた。その営みの積み重ねが、今の海田町の農業を支えている。
広島県産コシヒカリは、そうした歴史の上に育つ米だ。瀬野川沿いの平坦地で丁寧に作られ、白く粒立ちよく精米されて家に届く。炊きたての湯気が立つ時、米粒一つ一つがふっくらと立ち上がる。朝食の茶碗に盛れば、塩辛い漬物や味噌汁の具との相性も良く、毎日の食卓に自然に溶け込む。

小さな町の、変わらない営み
海田町は今、広島市と呉市、東広島市の間にあり、交通の結節点として発展してきた。マツダ関連の工場が立地し、自衛隊の駐屯地もある。町の人口は約3万人で、広島県の町の中では府中町に次いで多い。しかし面積は極めて小さく、可住地面積は7.19平方キロメートルに過ぎない。

そうした限られた土地の中で、農業は今も続いている。瀬野川の流域に広がる田んぼは、町の人たちの食卓を支える基盤だ。無洗米のコシヒカリも、同じ土地で育った米を、研ぎの手間を省く形で届ける選択肢として用意されている。

毎日の米を、この町から受け取ることは、瀬野川が運んできた土の恵みを、自分の食卓に迎え入れることでもある。小さな町の、変わらない営みを支える一つの形として。
