埋め立てられた海と、工場の灯
高砂市の海岸線は、昭和の時代に消えた。1961年から1974年にかけて、県の事業によって約280万平方メートルが埋め立てられ、播磨灘の遠浅の砂浜は工業地帯へと変わった。かつて能『高砂』に謡われた「相生の松」と砂浜の景観は失われ、その代わりに重化学工業と食品製造の工場が立ち並ぶようになった。
私はこの町を、選択と代償の歴史を刻んだ場所だと見ている。江戸時代には加古川の舟運と海運の要衝として栄え、工楽松右衛門のような海運業者が港湾改修に手腕を振るった。その後、戦後の高度成長期には、かつての軍需工場の跡地に新しい産業を呼び込むことで、市の財政的発展を選んだ。失われたものは大きいが、その選択が今も市民の生活を支えている。
角ハイボール缶 濃いめは、そうした工業都市・高砂の夜に似合う返礼品だ。工場の灯が映る播磨灘の埋立地で、仕事を終えた人たちが手にする缶。濃いめの味わいは、塩辛い海風と工業地帯の空気を吸った喉に、ちょうどいい。缶を開ける音、炭酸の泡立ち、冷えた液体が流れ込む感覚——それは、この町が選んだ現在を、素直に受け入れる行為に思える。

日常の中の、町の選択
高砂の返礼品は、派手さより日常性を重視している。角ハイボール缶 24本も同じく、毎晩の晩酌に、あるいは仕事帰りの一杯に、繰り返し手に取られるものだ。1ケース単位で届く返礼品は、家の冷蔵庫に常備される。そして毎夜、缶を開けるたびに、高砂という町の選択——失われた海と、その代わりに得た産業——を、静かに思い出させる。

伊右衛門 特茶も、同じ寄付額で届く。こちらは朝の食卓や、仕事中の水分補給に。ハイボール缶と特茶、両者は対照的だが、どちらも高砂の工業地帯で働く人たちの、日々の営みの中に自然に溶け込む品だ。派手な返礼品ではなく、繰り返し使われ、消費され、また補充される——そうした循環の中で、この町と寄付者の関係が続いていく。