宿場町の米、今も同じ土地で
津幡の地名は、津幡川と河北潟を行き来する舟の停泊地の端だったことに由来する。古代から北陸道の能登国への分岐点として栄えた宿場町。その歴史の中心にあるのが倶利伽羅峠だ。木曾義仲が「火牛の計」で平家を破ったという伝説が残る場所。
私がこの町を見ると、水と峠に挟まれた、古くから人が往来し、米を作り続けた土地だと思う。その倶利伽羅峠の麓で育つのが火牛の里 倶利伽羅米だ。特別栽培米として、農薬と化学肥料を減らしながら作られている。

5kg の一袋は、家族の食卓に毎日届く米として、ちょうどいい量だ。炊きたての香りが立つ瞬間、その米がどこから来たのか—峠を越えて人が行き来した土地、水が豊かな土地—そういう背景が、ご飯の味わいに静かに重なる。白いご飯として食べるのもいい。おかずを選ばない米だからこそ、季節ごとの野菜や魚と組み合わせながら、台所の中で米の本質が引き出される。
里山の水が育てる、もう一つの選択肢
同じ津幡町からは里山のこしひかり ほくの里も届く。こちらは10kg の一袋で、食べ盛りの家族や、米をよく使う台所向けだ。こしひかりの粘りと甘さが、炊き込みご飯や丼ものの下地として活躍する。保存の工夫—風通しのいい冷暗所に置く、小分けにして冷蔵庫に入れる—そうした手当てをしながら、冬から春にかけて食べ進める米として考えると、10kg という量が現実的に見える。

津幡町の米は、JA石川かほくを通じて出荷される。この地域の農業は、河北潟と津幡川という水資源に支えられている。その水が、粒の一つ一つに浸み込んでいる。寄付をして家に届いた米を、毎日の食卓に置く。それは、この町の風土を、最も素朴な形で家に迎え入れることだと思う。

