鈴鹿山脈の水が、米を育てる町
多賀町は琵琶湖の東、鈴鹿山脈の西麓に位置する。町の東部は山が高く、西に向かって低くなる地形だ。霊仙山や三国岳といった山々から流れ出す芹川と犬上川が、町を南北に貫いて琵琶湖へ向かう。この二つの川が運ぶ水と、その流域に広がる湖東平野の土が、米作の基盤になっている。
私がこの町を見るとき、最初に目に入るのは多賀大社だ。古事記に「伊邪那岐大神は淡海の多賀に坐すなり」と記された、イザナギとイザナミを祀る社である。奈良時代から、この神社を中心に門前町として人が集い、生業が営まれてきた。江戸時代には豊臣秀吉が母の延命を祈願し、成就したとして1万石を寄進したほどの信仰を集めていた。その後、寛永年間には徳川家光の庇護の下で大造営が行われ、現存する本殿や大日堂が建立された。
町の米作は、この長い歴史の中で、山からの水と平野の土とともに営まれてきた営みだ。みずかがみの無洗米は、その水と土の恵みを、食卓に届ける。無洗米であることは、毎日の調理の手間を減らすだけでなく、米そのものの品質を損なわない仕上げを意味している。炊きたての米を口に入れたとき、鈴鹿山脈から流れてきた水が育てた粒の甘さが、ほのかに感じられるはずだ。

門前町の晩酌、琵琶湖の水で
多賀町の西部は湖東平野の一部であり、行政と産業の中心地でもある。古くから人が集い、生活を営んできた場所だ。その町の晩酌に、キリンの一番搾りを選ぶことは、ごく自然な選択肢だろう。ビールは水を主体とする飲料であり、その水の質が味わいを左右する。琵琶湖へ流れ込む芹川と犬上川の水系に育まれた町で、冷えたビールを傾ける。季節が移ろい、夏の夜に缶を開けば、その冷たさと苦味が、米の甘さとともに、この町の風土を体に刻む。

多賀町は過疎化が進み、特に東部の山間部では廃村が相次いでいる。しかし町の中心部では、今も米が作られ、その米を食べる人がいる。古社の門前から始まった営みは、現在も、この町の水と土の上で続いている。

