矢作川が運んだ、味噌の町
岡崎の台所に味噌がある。それは当たり前のことではなく、この町の地形と歴史が積み重ねた結果だ。矢作川が南北に貫く岡崎平野は、江戸時代から水運の要衝だった。「五万石でも岡崎様は、お城下まで舟が着く」と謡われたほど、川の流れが町の経済を支えていた。その水運を背景に、八丁味噌は四百年近く、この地で仕込まれ続けている。
味噌樽は、単なる食材の容器ではない。夏の暑さで仕込みが進み、冬の寒さで熟成が深まる。岡崎の温暖な気候—冬でも雪がほとんど降らない太平洋側気候—は、味噌の発酵に最適だ。樽の中では、塩漬けにした大豆と麹が、季節の温度変化に応じてゆっくり変わっていく。その時間を信じて、職人たちは毎年同じ手順を繰り返してきた。
八丁味噌が家に届いたら、まずは赤だしの汁を一杯。朝の味噌汁に、この深い色と塩辛さが溶ける。八丁味噌は甘い味噌ではない。塩辛く、香りが強く、豆の粒がしっかり残っている。豆腐を入れれば、その白さが引き立つ。油揚げを入れれば、油の香りと味噌の香りが重なる。冬の朝、湯気の中で、この味噌の味わいは変わらない。

台所の常備品として、季節を通して
赤だしは、味噌汁だけではない。煮込み料理の隠し味になり、漬物の床になり、焼き魚の下地になる。岡崎の家庭では、この味噌が冷蔵庫の奥に常にある。夏場でも、冬場でも、同じ樽から毎日すくい出される。六個セットで届くのは、一年を通して使い切るためだ。

味噌は、塩漬けの大豆と麹の共生だ。その関係は、この町の矢作川流域で育つ大豆と、麹菌の働きによって成り立っている。江戸時代、岡崎の農村では綿作が盛んになったが、その前から、この地の農民たちは大豆を育ててきた。味噌樽の中には、その歴史が詰まっている。
寄付をして、この八丁味噌が家に届く。それは、岡崎という町が四百年かけて積み上げた、食卓の基盤を受け取ることだ。毎朝の味噌汁が、少し違う味わいになる。その違いは、矢作川の水と、岡崎の気候と、職人たちの手が生んだものだ。
