断層と段丘が作る、坂の町の食べ方
中津川市は、地図を見ると一目瞭然だ。阿寺断層、屏風山断層—地学的に名高い二つの断層が市域を縦横に走り、その相対的な沈降と隆起によって、段丘と丘陵が幾重にも重なっている。恵那山(2,191m)を南に仰ぎ、北は阿寺山地へ連なる。市街地そのものが「坂の多い町」と呼ばれるのは、この地形のせいだ。
私がこの町を見るとき、思うのは「水と土地の関係」である。木曽川とその支流—中津川、付知川、川上川—が急流となって流れ落ち、その河岸段丘の上に、人々は集落を営んできた。江戸時代には中山道の宿場町として栄えた中津地区も、落合宿も、坂下も、みな段丘面の上にある。そして、その段丘の上の限られた平地で、米が作られてきた。
加子母地区は市の最北端、白川が西へ流れて飛騨川に注ぐ地域だ。ここは東濃ひのきの一大産地であり、同時に農業も盛んな第一次産業の村。その加子母で作られる加子母産コシヒカリ「かしもの恵み」は、日本一おいしい米コンテストで受賞した品だ。

棚田という言葉がある。急斜面を段々に切り開いた田んぼのことだが、中津川市の米—特に加子母産のそれ—は、この町の地形そのものを食べることに他ならない。段丘面の限られた土地を、何世代にもわたって丁寧に耕してきた結果が、一粒の米に凝縮されている。届いた米を炊くとき、その白さと粘りは、この町の水—木曽川の支流が運ぶ清冽な水—を吸い上げた証だ。朝食の茶碗に盛ったとき、初めてその米は「食べ物」になる。
飛騨牛—山越えの肉
中津川市は岐阜県の東濃地域にあるが、長野県に隣接し、古くより木曽谷や伊那谷との関係が深い。その地理的な位置が、この町の食卓に飛騨牛をもたらしている。

飛騨牛のA5等級サーロインは、重量を選べる返礼品だ。200gから1kgまで、自分の食べ方に合わせて選べるという設計は、実用的だ。ステーキとして焼くなら、厚さ3cm程度に切った一枚を、塩とこしょうだけで強火の鉄板に乗せる。肉の表面が焦げ色になるまで、動かさない。中は淡いピンク色のままで、皿に移す。そこへ塩をひとつまみ。これが、この町の冬の晩酌の風景だ。

飛騨牛のA5等級ももは、すき焼きやしゃぶしゃぶに向く。冷蔵で届くため、解凍の手間がなく、そのまま鍋に入れられる。薄く切られた肉は、沸騰した出汁に数秒浸すだけで火が通る。その瞬間の色の変わり方—赤から白へ—を見ながら、箸で引き上げる。ポン酢に浸して食べるとき、肉の甘みが口に広がる。
米と肉、そして清酒
飛騨牛の切り落としは、モモ、肩、バラが混在した品だ。部位ごとに火の通り方が異なるため、焼肉のように強火で手早く焼くのが正解だ。切り落としという形状は、家庭の台所では扱いやすい。冷凍で届くため、保存も容易だ。
この町で米と肉を食べるなら、清酒も欠かせない。清酒「鯨波」の純米吟醸と純米の飲み比べセットは、恵那醸造による品だ。純米吟醸は香りが高く、食事の邪魔をしない。純米は、米の旨みがより直接的に感じられる。二本セットで届くため、同じ食卓で飲み比べることができる。加子母産の米で炊いたご飯、飛騨牛のステーキ、そして鯨波の純米吟醸—この組み合わせは、中津川市の食卓の一つの完成形だ。
返礼品を選ぶときの視点
この町の返礼品を選ぶなら、「その土地でどう食べられてきたか」を想像することが大切だ。米は、段丘の上の限られた土地で、何世代にもわたって作られてきた。肉は、山越えで運ばれてきた、隣県の産物だ。清酒は、その米と水を使って、この町で醸されてきた。
寄付額の大きさや、返礼品の「豪華さ」で選ぶのではなく、その品が「この町でなぜ作られるのか」「この町の台所にどう着地するのか」を考えながら選ぶ。そうすることで、返礼品は単なる「もらい物」ではなく、その町の風土と歴史を食べることになる。
